2009年8月28日金曜日

ブラックスワン(上) を読んで

■ 世の中には「弱いランダム性があり、ベルカーブ型分布に事象が従っている、月並みの国」と「強いランダム性があり、事象はマンデルブロ的な「灰色の」白鳥(法則は分かるものの、長期的な未来の予測は難しい世界)か、まったく捕捉不能な黒い白鳥に従っている、果ての国」がある。

■ 原始的な環境では経過と結果が強く結びついていて、線形/プラトン的世界であり、「月並みの国」であったものの、文字が発明されて以降の、膨大な情報が飛び交い、統計的に複雑な現代は「果ての国」化しているといえる。

 - 吟遊詩人の時代には誰にでもお客はついた。しかし、文字が発明され、流通構造が発達することで、一部の作家だけが一人勝ちする「果ての国」化した

 - 一度に一人しか殺せない時代は、戦争は「月並みの国」のものであった。それが、大量破壊兵器が出来たことで、「果ての国」化した

 - 拡張可能性によって、あらゆるものを「果ての国」「月並みの国」に分けることが出来る
   ・ 身長、体重、カロリー摂取、自動車事故での死亡率、IQは月並みの国
   ・ グーグルでのヒット数、都市の人口、知っている単語それぞれの使用回数、惑星の大きさ、金融市場、商品価格、インフレ率は、果ての国


■ 黒い白鳥をより深刻なものにする要因:

 - 情報の集合の外にあって見えていないのに、帰納性に安住する
    ・1000日に渡ってえさをくれ続けたものの、1001日目に急に首を絞められてしまう七面鳥。七面鳥からすれば、「当然1001日目が来るはず」だと思ってしまっている。が、人間からすれば、感謝祭のために飼っていた。人間にとっては、黒い白鳥ではなく、予測可能なことなのだ。

 - 情報を手に入れているものの、処理される過程でつけられる講釈(事象の間で、関係性をつける)により、事実が歪んでしまう。
    ・もともと、物事の次元(コルモゴロフ複雑系)を落として頭に詰め込む(あるいは、既に知っている事象と関連付ける)のは人類の課題であるため、その行為自体が「実際よりも世界がたまたまではないと思い込ませてしまう」
    ・さらに、記憶は静的ではなく動的であり、事象を思い出すときは、前回その事象を思い出したときの形で思い出す。そして思い出すたびに事象の内容は変わっていく


 - さらにいうと、結果として生き延びたという、「物言わぬ証拠」がそれをさらに強めてしまう。起こったことに敬意を払い、起こるかも知らなかったことはそっちのけになる。
    ・サクセスストーリーは真に受けないほうがよい。全体像が見えていない(サクセスできなかったヒト)からだ。
    ・私たちが思い浮かべつ標準的な犯罪者像は、つかまるような間抜けな犯罪者に基づくものかもしれない。(すなわち、われわれは、犯罪者の全体像が見えていない。)
    ・911事件の三ヵ月後、飛行機に乗るのが怖くなって車まで移動するようになり、交通事故で亡くなった、1000人近いテロの物言わぬ犠牲者が亡くなったものの、その家族には何の支援もない
    ・ギャンブラーは、超人的に勝った後に、その理由を考える。はじめの集団の全員がいたところから計算しないといけない。


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