<西洋における、資本主義が広がったトリガー>
■ 資本主義は、(1)労働、それ自身を尊重する (2)目的合理性を持つ (3)利子・利潤を倫理化するという精神を持つことである。これによって、貨幣が貨幣を呼ぶ仕組みが出来上がる。 ・目的合理性とは、一義的に捉えられた目的にとって行為者自身が適合的と考える手段にもっぱら指向してなされる際、その特性を指す。その特性を持つためには、「何が適合的か」がわかる必要があり、それが「利潤が実際に計算できる」こと、すなわち「複式簿記の開発」につながる。
・元々、中世カトリック協会では「隣人の愛」に背くとして、利子を禁じていた。カルバンは「隣人たちがほんとうに必要としている、あるいは、手に入れたく思っているような財貨、それを生産して市場に出す。しかも正常価格で供給し、適正な利潤を手に入れることは、貪欲の罪どころではなくて倫理的に善い行いではないか。」とし、利子の合理化を図った。
<日本における、資本主義が広がったトリガー>
■ 古典派・マルクスらは、資本主義の特性としては、私有財産制と市場機構があるとされ、リカードらは、競争がゆきつけば利潤は0になるという血も涙もない結論を出している。シュンペーターは、そもそも競争があるのに何故、実際には利潤が消滅しないのかについて、革新(新結合;生産的緒力の結合の変更、(1)新しい財、新しい品質の財(2)新しい生産方法(3)新しい販路(4)新しい供給源(5)新しい組織)が起こるからだとしている。
■ この革新の担い手は、革新を生む企業者と、生産要素を旧用途から強制的に引き抜いて新用途に用いるために必要な資金を供給する銀行家が必要。
- 企業者は、「役割」であって、「身分」ではない。革新が行われないようになると、ただの経営者となってしまう
■ 明治維新という大革命(法律、教育などの急激な改革)は、脱藩までして決死の覚悟で行動的禁欲(伝統や旧習にとらわれないで新しいものにあえて突進する冒険心あふれる心構え)を貫き通した勤王の志士が「企業家」の役割を果たしていたため、成功した。
- 発端:欧米列強方針(資本主義国に対しては平等条約を結ぶ。一方で、まったく資本主義っけのない国とは条約を結ばない。前期的資本の段階である国には不平等条約を結ぶ。)に従い、岩倉使節団は「資本主義になる」ことを要請されたのだ。
・ 日本は外的要因に動かされ革命が起きたため、西洋諸国の革命と大きく異なっている。西洋では封建的支配階級を打倒するのはブルジョワジーであり、資本主義的支配階級を打倒するのはプロレタリアートである一方で、日本では「武士階級」を「武士階級」が打倒した
- 治外法権の撤廃に向けて、「従来の伝統、現実の国民生活からまったく絶縁した」法律を急ピッチで整えた。
・ 新民法を作るために、フランスの有能な法律家ボアソナードを招聘した際、時の法務大臣である江藤新平は「フランス民法をそっくりそのまま翻訳してくれればいい」と答えたそうである
- 戦前の教育は、勤勉なる労働を通じて資本主義の精神を体現した二宮金次郎を通じた、資本主義であった。
■ 下級武士への資本主義精神の育成には、朱子学が大きく影響している。
- もともと戦国時代においては君臣の倫理は「なさけ」「ちぎり」などの情緒にもに依存しており、客観性をもちえず、どたんばで裏ぎるといったことがあった。家康は「君臣の義(乱心賊子が現れず革命をみないこと)」「華夷の弁」に重きをおく朱子学の浸透を試みた。
- 山鹿素行「中朝事実」は、日本のみが「君臣の義」「華夷の弁」を守っている、まさに「中国(世界の中心)」であると説き、日本に誇りを持たせた。これが、武士道の規範化につながっていく
- 崎門の学(山崎闇斎派)によって、封建時代から長くの間エトスの変換がなされていた
<シュンペーターが考える、資本主義の終焉>
■ 大会社時代の資本主義は、資本主義を形骸化させていき、社会主義への突き進めていく。
- 革新そのものが日常化され、ビジネスはもはや冒険心をそそる魅力ある仕事ではなくなる。社会そのものが冒険心と決断新のある企業者をほとんど必要とせず、そのような資質のあるヒトはビジネスから顔を背けるようになる。つまり、革新の担い手が企業家から「官僚化された専門家」に代替されていく。
- 目に見、手で触れられる現実感がなくなるにつれ、財産への愛着・魅力が薄れ、私有財産制度と契約の自由の制度が、形骸化する
■ 日本の教育制度は、維新後の日本で「階層構成原理」として作られたため、人物育成・社会化などの帰納を失ってしまい、面白くもない知識を詰め込むだけになってしまっている。これでは資本主義が死んでしまう。