2009年8月24日月曜日

96時間 を見たZe

昨日から一週間、また泊まることになったユスフ(ナイジェリア人)。

彼と96時間という映画を見に行った。
映画の予告編でよく流れていたから、前からちょっと気になっていた。
「I don't know who you are, I don't know what you want.」のせりふが妙に残るんだよね。

17歳の娘がkidneyされて、それを元SP(?)の父親が助けにいくストーリー。
展開は結構単調。ようは、父親無敵。

kidneyされて、金持ちに売られる少女は実在する。
それに警察・政府も関わってることもある。

それが許せないというユスフ。


俺は、少し違う。
もちろん、許せないことは許せないが、警察・政府はどうして「見てみぬ振り/場合によっては、関与」をせざるを得ないのか。

それは、kidneyに関与するグループは世界中にはびこっており、根絶するには、他の犯罪に割り振るリソースを切り詰めて、膨大な時間、労力、金、掛かってしまう。
もしかしたらそこまでかけても無理かもしれない。

それを・・・・・市民が許すかという問題だと思う。

「明日から、税金が倍になります。あなたに娘が出来た場合、彼女がもし外国に一人で行っても安全に戻ってこれるように、kidneyに関与するようなマフィアを根絶する費用だからです」

といわれても、

「いやいや、娘いないし」
「娘いるけど、外国に一人でいかせない」
「外国に一人で行っても、つかまるような危険なところにはいくような馬鹿ではない」


など、理由をつけるのではないか?
そして、どこか、kidneyがおきてしまったことについては「もしかしたら、その子にも問題があったんじゃない?」と思ってしまうのでは?


「おきることを想定する」ことと、「おきてしまった」とでは、天と地ほどに違うのだ。
どこまで、他人のことを自分のことのようにイメージできるか・・・・だと思う。これは、なかなか人類全員には分かってもらえない気がする。

なので・・・・・・現状では、自衛するしかないのだ。。。


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