2009年9月8日火曜日

ソビエト帝国の崩壊 を読んで

<階層構造>
■ 共産主義においても、階級は存在した。
 - 生産手段を私有するかどうかで階級を分けるならば、ソ連には階級はなかった
 - しかし、威光/勢力/富 において、一般民衆より多くを享受するエリート階層(数学者、物理学者、技師、一部の政治家 等)は存在した。
  ・お金を持っていても、ものが買えるとは限らないソ連社会において、月給が高いということはあまり意味を為さない。エリート層は、別荘、マンション、リムジン、食料品などが現物給与されていた。さらに、「共産党貴族の店」という店で、行列をする必要もなく、安い値段で、どんな品物でも、いつでも手に入れることが出来た。

■ エリート階層が存在することを社会が「公認しない」ことで、エリート階層にはある種の後ろめたさが残り、責任の自覚を失わせ、ノブレス・オブリッジが生まれない。
 ― 英国貴族は、第二次世界大戦のとき、スピリットファイヤをかって圧倒的に優勢なメッサーシュミットに立ち向かった
 - 徳川時代において、”武士は、百姓町人とは根本的に違った人間であるという意識を叩き込まれたため、その差別意識こそが、倫理的に百姓町人よりはるか上でありつづける源泉となった

■ ソ連は、富・威光・勢力がエリート層に集まっており、革命がおきやすい状況にあった
 - 日本では富は町人に、威光は公家に、勢力は武士にあったため、一揆や打ちこわしがどんなに激しくおきても、幕藩体制はびくともしなかった

<経済構造>
■ 社会において、中心的な富の形態がある。
 - 中世封建の世の中においては、土地であった。土地を持っている人が富んだ人であって、全ての重要な派生的富は、土地によって作り出された。

 - 近代資本主義社会においては、商品であり、特にその交換価値が一般化された貨幣である。(商品には、使用価値と交換価値があり、交換価値が一般化されたものを貨幣と呼ぶ)

 - 社会主義においては、企業においては市場占有率、個人としては商品の嵩であった
   ・ 生産は社会化され、利潤をあげても私有化できないため、いかに国家から目をつけられるよう、規模を大きくするかがポイントだった
   ・ 貨幣が「平等」に配られる以上、貨幣にあまり価値はなく、必ずしも商品と交換できるわけではなくなってしまう。すると、「行列」があったら、とりあえず並ぶ。長い行列が出来ている以上、そこで打っているものは所有する価値があるものに違いない というマインドになる。ソ連では、人々はその商品が必要だから買うのではなく、ともかくも持つ価値があると思うから買うのである。
   ・ さらに、生産もノルマを引き上げないために、生産性が低いままになる。当然、客のニーズを聞く必要もない。従って、技術革新などは極めて起こりづらい。


<感想>
貨幣では買えないものが多ければ多いほど、純粋な資本主義とは離れていく。ホリエモンが言っていたように、意味の分からない、既得権者の意見によって、経済性理論が成り立たないならば、それはむしろ、共産主義に近いのかもしれない。

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