クリスマスは、会社のSFC出身者(4人)と、その場に居た同じブースのヒト(被害者)で、「SFC de クリスマス!」を決行した。
会社を7時半に出て、車で一時間半。
ざんまい(焼肉屋)で、名前を書いた後、時間が余ったので、SFCに。
「はんぱなく、臭い」
いやーーー、前から思ってたけど、再確認。
「はんぱなく、臭い」
冬というのに、「みやじ豚」は容赦してくれない。これでもかというくらいの体臭をぶちかましている。 一通り、SFCを懐かしんだ後は、焼肉屋に。さすがに、以前みたいに「めちゃうめー」という快感は少なかったものの、昔と変わらないざんまいサラダにはやっぱりワクワクした。
最後は、じょなさんでプレゼント交換という、これまたネタとしては最高なかんじ。 僕は、これをあげた。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0904/27/news051.html
>「ひなこ」という名の16歳の萌えキャラと一緒に筋トレをするという内容。ひなこは、元は人間だったが、中2の時にアニメキャラ化されてしまうという設定で、153センチ、48キロ。巨乳だ。
うーーーん、なぜ、こんな設定じゃなきゃ駄目だったのか、わからんが。
とりあえず、メリークリスマス。
2009年12月26日土曜日
SOSの猿、あるキング を読んで
伊坂の新たな試みの作品と言っていいと思う。
彼の得意技である「カチカチ」と話の終盤にかけてピースが組み合わさっていく爽快感は薄い。
その代わり、読後感が味のあるものだなという印象。
もう一度読んでみたいと思う、数少ない作品たちの気がする。
彼の得意技である「カチカチ」と話の終盤にかけてピースが組み合わさっていく爽快感は薄い。
その代わり、読後感が味のあるものだなという印象。
もう一度読んでみたいと思う、数少ない作品たちの気がする。
2009年12月25日金曜日
2009年12月24日木曜日
デジタルを生活に取り入れよう
デジタルフォトフレームは、面白い。
デジタルの特性としては、
- データをサンプリングするため、容量を増やせる(その代り、微妙な差異は切り捨てる)
- コピー・ダビングしても劣化しない。一方で、全て消えるリスクは高い
ということでしょうか。
微妙な差異を捨象することで、単位あたりの情報再生・複製コストが減る、そもそも劣化しないという特性から、生活のいたるところにおくといったニーズには適していると思います。
写真掛けの意義としては、見せたい相手は、「本人」「家に訪れたヒト」であって、見せる機会としては、「その場所を通り過ぎる瞬間」なわけです。別に、「じっくり観察すること」が目的ではないと思います。
デジタルの特性に合っているわけです。
そのような意義から考えても、「たくさんの画像・動画をそこそこのコストで扱える」「加えて、複製が楽」なデジタルフォトフレームはとても良い製品と思います。
さて、これまでデジタルといえばパソコンというような雰囲気があったようにも思えます。
しかし、デジタルの特性から考えても、日常品とは極めて整合性が高いことがわかると思います。
例えば、
- デザインが変わるTシャツ
- (まだまだ先の話かも知れませんが、)匂いの素子を調合して、デジタルに花の香りを楽しむ
といったことは面白いと思うんですよね。
2009年12月13日日曜日
思考停止社会 -「遵守」に蝕まれる日本 を読んで
主な主張。分かるけどねぇ。
日本人が均一な価値観なのが本質的な問題・・・というか真因であり、従って、世論が極端に構成されやすく、社会全体が思考停止に見えがちなわけで。マスメディアも営利企業である限り、「求めているもの」が儲かるならそれがまずいことでもやってしまうわけで・・・・・。あーーー、むずい。
個人レベルでは思考停止に陥っているヒトは僕の周りにはいません。
■ アメリカは、社会の多様性と変化に対して、法令の内容自体を柔軟に変化させることで法令と実態との乖離が起きないようにしてきた。法令を日ごろから磨いて「文化包丁」のように扱ってきた。
■ 一方で日本は、最後の最後の「伝家の宝刀」としての法令であり、基本的には、社会的規範や倫理に照らして物事を解決してきた。最後に出てくる法令は、「遵守」してきただけ。
■ ところが、2000年ごろから、コンプライアンスなりが盛んに叫ばれるようになり、アメリカの法治社会が中途半端な形で輸入されてきた。したがって、周辺に押し付けられていた法令が前に出てくるようになったものの、相変わらずの姿勢は、「遵守」のままであるので、「思考停止」社会となってしまうのである。
■ 加えて、マスメディアなどのせいなのか、これまで遵守の対象でなかった社会的規範までも遵守の対象になりつつある・・・・。
日本人が均一な価値観なのが本質的な問題・・・というか真因であり、従って、世論が極端に構成されやすく、社会全体が思考停止に見えがちなわけで。マスメディアも営利企業である限り、「求めているもの」が儲かるならそれがまずいことでもやってしまうわけで・・・・・。あーーー、むずい。
個人レベルでは思考停止に陥っているヒトは僕の周りにはいません。
■ アメリカは、社会の多様性と変化に対して、法令の内容自体を柔軟に変化させることで法令と実態との乖離が起きないようにしてきた。法令を日ごろから磨いて「文化包丁」のように扱ってきた。
■ 一方で日本は、最後の最後の「伝家の宝刀」としての法令であり、基本的には、社会的規範や倫理に照らして物事を解決してきた。最後に出てくる法令は、「遵守」してきただけ。
■ ところが、2000年ごろから、コンプライアンスなりが盛んに叫ばれるようになり、アメリカの法治社会が中途半端な形で輸入されてきた。したがって、周辺に押し付けられていた法令が前に出てくるようになったものの、相変わらずの姿勢は、「遵守」のままであるので、「思考停止」社会となってしまうのである。
■ 加えて、マスメディアなどのせいなのか、これまで遵守の対象でなかった社会的規範までも遵守の対象になりつつある・・・・。
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